受験生の皆さんこんにちは。
私がお話ししようと思うのは「大問六番への挑戦」と「記憶」についてです。
大問六番というのは、この場合、一番最後の大問にあたります。大抵が訳の分からない応用問題の住処になっている所です。今年から川口市立高校は選択問題を採用し、難易度が上がりましたね。大問六番も恐らく難しくなっている事でしょう。加えて、嬉しいことに倍率も凄いことになっていました。大問六番を解ける、というのは大きく合格へと近づくはずです。もちろん、そこまでの問題がしっかり出来てこそです。受験に限った話ですが、問題を棄てることは時に必要になります。だから、あまり大問六番にこだわっても仕方ないのも事実です。しかし、大問六番に挑戦することの何よりもの利点は、「面白い」ということです。
大問六番の問題というのは非常に難しいものが多いです。一筋縄ではいきません。(1)は解けるんですよね。いけるんです。でも、(2)になると途中まで行くんですけど、どこかで行き詰ってしまって、(3)は真っ白。ざらにあることです。しかし、解けた時というのはすごく嬉しいものです。出来なかったことが出来るようになるって、人間の原始的な喜びですよね。そして、大問六番を解けるほどの理解力があれば、自ずと他の大問も解けるようになってきます。直接的な繋がりがないにしろ、大問六番を解くべくして行った勉強方法は、必ず財産になります。何事も「自ずと」、成長していくんです。
それで、どうしたら大問六番に歯が立つのか、という話ですが、今までは敵だったはずの(2),(3)の存在から考えることができます。敵だったキャラが味方になる展開、めっちゃ熱いですね。そもそも、どうして(1),(2),(3)と用意されているのでしょうか。
こうした、大問の中に小問がいくつか配置されている、という構図を、「誘導」と呼びます。知っている受験生もいるのではないでしょうか。こうした「誘導」はいわゆるヒントで、全ては(3)を解かせるために用意されています。つまり、本来は(3)で求めさせたいことしか知りたくはないんです。経験があると思いますが、(3)を解くにあたって、(1),(2)を利用する、というのはよくある手法です。他にも、(1),(2)は簡単な例で、その応用が(3)なんて構図もありますね。これは数学に限った話ではありません。テスト全体の様子を伺う事、全問題の繋がりを意識することで何か見えてくるものがあるはずです。
こういった、繋がりを意識する、という話題を出したところで「記憶」の話をしたいと思います。受験において欠かせない事、間違いなく暗記と睡眠ですね。みなさん寝てますか!!夜遅くまで勉強してもいいですけど寝るのも大切です!!昼間しか勉強してないのに頭いいとかかっこいいじゃないですか。それからたまには休憩することです。休憩というのは何も、手ぶらで何もしない事を言うわけではありません。何もしない事だけが、休憩ではないことは忘れないでもらいたいです。私の話が転々とするのはこのためです。戻りましょう。「暗記」というのは永遠の課題で、死ぬほど興味のない事なんて到底覚えられません。どれだけ優秀な人でも、です。むしろ優秀な人というのは興味のあることに没頭している印象がありますね。好きな事だから成功する、というのはよく聞く話です。しかしながら信じられないほどつまらないことでも覚えなければならない事も覚えなければならないのが受験の辛いところです。
ところでみなさん、歌う事のできる好きな歌はありますか?また関係ない話を始めたぞ、と思わないでください。思った人は続きを読んでいる間ずっとその曲を大声で熱唱していて欲しいのですが、何か一つくらいはあると思います。ない人はぱっと思いついた歌える曲でも構いません。とにかく、何か一つ歌える曲という物があるわけです。その曲に含まれている情報には何があるでしょうか。歌手名、作曲者、作詞者、メロディー、楽器の音、歌詞、リズム、色々あります。すごく多いです。全部は知らないとしても、歌い切れる曲があるとしたら、それだけでそれなりの情報量を記憶している事になるわけです。
さて、ここで少し考えてみましょう。人間は、情報量が多いものと少ないもの、どちらを覚えやすいのでしょうか。みなさんが考えている間関係ない話をします。どうですか?答えは出たでしょうか。私は学者ではないので実際にどちらなのかは分かりませんが、私としては「定着」に着目すれば情報量が多いほう、だと思います。何せ、思い出す際の取っ掛かりが多いわけですからね。
歌というのはそういうもののような気がします。歴史上の人物だとか英単語、周期表なんかを特に、歌で覚えるといった方法がありますが、これが最たる例です。周期表なんてリズムまで一緒に覚えてるんですから、明らかに覚える量が増えています。
それから歌詞を覚えることができるのは、それらが脈絡を持っているから、というのもあげられるでしょう。歌というのはたいてい、何かしらのメッセージ性を持っています。つまり、ストーリーがあるというわけです。よく、歴史はストーリーで覚えろと言われますが、そういう意味なのでしょう。ところが、中学の教科書、特に歴史は信じられないほど簡潔に書かれています。高校の教科書を見ると詳しさに目ん玉が飛び出ます。もちろん、情報量が多いということは、記憶するのに要する時間が増える、という点は違いありません。しかし、人間は飽きる生き物です。忘れやすいような少ない情報を何度も反復するより、濃すぎる情報量を覚えるほうがいいような気がします。これは完全に人によります。
それと、こうして自分で情報を付け足すこと、多くの情報を得ようとすることの利点は、高校での勉強の前身になり得るからです。何事もそうですが、自分から知ろうとする態度が今後必要になります。歴史はそれを養うのにとても有力です。少し試してみてください。
長くなりましたが、そろそろまとめていきましょう。全体を通して私が言いたかったことをまとめます。これがうまくまとまっているものを評論と言います。私は評論が驚異の点数なので苦手です。今回は具体的な勉強法の例などは示しませんでした。きっとみなさんなりのものがあると思います。どうかそれを信じてください。
ひとまず、大問六番を解けるつもりで勉強すれば間違いないでしょう。その為にすることは過去問の大問六番を解くのではなく、(1),(2)を解き得る基礎を固めることです。
それから、記憶というのは案外情報量が多いほうが良いのかもしれない、ということです。好きな物の記憶って自ずと多くなりますからね。好きだから多い、というのは納得しやすいですが、案外逆向きも成り立つのかもしれません。
そして何よりも大切なのは、私たち学生は、受験の為に生きているわけではない、ということです。多くの人にとって、勉強した内容は役に立ちません。将来斜辺の長さが知りたくなることなんてほとんどありませんし、1231年に御成敗式目が出たからといってなんだというんですか。しかし、それらの為に貴方がした工夫は、必ず役に立ちます。保証します。
高校に入ってからの勉強のほうが楽しいと思います。高校で扱う内容は中学で扱う内容より厳密で高度です。今の状態で1+1レベルの足し算をしたって楽しくないのは、どこかで難しいものを好む性質を持っているからです。難しい内容を考えると頭がねじ切れそうになりますが、そこに面白さがあるのも間違いないです。受験における大問六番を考えてみましょう。(1),(2)は人によるでしょう。しかし(3)は誰もが同じなのではないでしょうか。『(1),(2)の結果を用いて貴方の努力を報いなさい。』とか考えたらテンション上がりませんか?
皆さんが無事合格し、川口市立高校に入学できることを切に願っています。
(川口市立南中学校)
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